甲斐修験道と日蓮宗の聖地

7つの池を抱く七面山は、龍神信仰の対象として修験道が盛んに行われました。鎌倉時代に日蓮上人が身延山に入山すると、身延山の守護神として七面山に七面大明神が祀られました。身延山と七面山は法華経の聖地とされ、七面山はお萬の方が登詣したことで女人禁制が解かれました。
修験道
修験道は、日本古来の山岳信仰に仏教の要素が混ざり成立した日本独自の信仰です。山で狩猟採集して生きる糧を得てきた太古の人びとは、山は神聖な存在として崇敬してきました。やがて仏教が伝えられると、山での厳しい修行を通して霊験を得る山岳信仰が生まれ、奈良時代に活躍した役小角が修験道を確立しました。
甲斐修験道と七面山
七面山は古来より修験道が盛んな山で、山岳修行が行われる女人禁制の山でした。伝説では山頂に7つの池があり龍神が住んでいるとされたため、龍神を崇拝する龍神信仰が根付いていきました。山頂付近の池は一ノ池と二ノ池以外は位置が不明確で、第7の池を見たものは失明するという伝承が残されています。

七面山一之池
敬慎院の裏手にある一ノ池は、エメラルドグリーンの水を湛えています。龍神が住んでいる神聖な池であり、修験道の開祖である役小角の姿をした池大神が祀られています。
日蓮上人の身延山入定
文永11年(1274年)に国波木井郷を治める南部実長の招きにより、日蓮上人が身延山に入り草庵を構えました。日蓮上人は9年を草庵で門弟を指導し、弘安4年(1281年)には本格的な堂宇を建築して身延山妙法華院久遠寺と名付けました。日蓮上人は七面山の登山を発願しますが、弘安5年(1282年)に療養と両親の墓参に向かう途中、武蔵国池上で逝去したため登詣は叶いませんでした。
日蓮上人と七面天女
建治3年(1277年)に日蓮上人が門徒に教化していたところ、若く美しい女性が現れて説法を熱心に聞いていました。門徒たちは見慣れない女性を不審に思いましたが、日蓮上人が女性の手のひらに身延沢の水を一滴落とすと本来の龍の姿を現しました。若い女性は七面天女であり、身延山の鬼門を抑える守護神にとして七面山に飛び去りました。

日蓮上人草庵跡
文永11年(1274年)に日蓮上人が鷹取山の麓の西谷に構えた草庵跡です。弘安4年(1281年)に旧庵を廃して本格的な堂宇を建築し、身延山妙法華院久遠寺と命名しました。

日蓮上人廟所
御草庵跡のそばに立てられた日蓮上人の廟墓です。昭和17年(1942年)に石造りの八角塔が建てられ、塔の中に日蓮上人が入滅したときに建立された五輪の墓が納められています。
法華経の聖地
永仁5年(1297年)に六老僧のひとり日朗上人と南部実長(日円上人)は、七面山の登詣を果たして七面大明神を祀りました。七面山には敬慎院が創建し、日蓮宗の霊山のひとつとなりました。赤沢宿は身延山から七面山を目指す人びとの宿場町として繁栄しました。

身延山久遠寺
文明7年(1475年)に第11世・日朝上人は、身延山久遠寺は狭く湿気の多い西谷から現在の地へ移転しました。武田氏や徳川氏などの外護を受けながら伽藍整備が進められ現在の姿になりました。

奥之院思親閣
身延山の山頂には、六老僧のひとり日朗上人が奥之院として思親閣を建立しました。日蓮上人は草庵から身延山に登り、遥か遠い房州小湊の父母と師の道善房を追慕したとされます。
お萬の方と七面山登詣
寛永17年(1640年)に徳川家康の側室・お萬の方は、法華経に深く帰依して七面山登詣を願いました。お萬の方は麓にある白糸の滝で7日かけて身を清め、これまで女人禁制の七面山を女性で初めて登詣しました。当時は女性が山に登ると山が汚れると信じられていましたが、お萬の方が登詣を成し終えても天変地異や災害は起こらなかったため、女性による登詣が解禁されました。

羽衣白糸の滝
七面山敬慎院へと続く表参道の登山口付近で、羽衣橋の東詰にある滝です。徳川家康の側室・お萬の方が身を清めて七面山登拝を行い、女性による登詣を解禁する礎がつくられました。

徳川家康側室養珠院墓所
お萬の方は徳川家康の死後に落髪して養珠院と称しました。承応2年(1653年)に養珠院が江戸紀州藩で死去すると、紀州藩主・徳川頼宣は本遠寺に宝篋印塔を建てて菩提を弔いました。
七面山と安倍奥
安倍川上流部は八紘嶺や山伏など2000メートル級の稜線が連なり、八紘嶺から伸びる尾根が七面山に続きます。七面山は日本二百名山に指定され、八紘嶺と山伏は日本三百名山に指定されています。
八紘嶺から七面山
日蓮宗の聖地である七面山は、安倍奥に位置する八紘嶺と稜線が繋がります。一般的に七面山への登山は山梨県側から始められますが、静岡県側の安倍奥からも七面山に向かうことができます。
- 山行日
- 2006/07/15
- 天 候
- 晴れ
- ルート
- 梅ヶ島温泉(05:20)~八紘嶺(08:35)~インクラ跡(09:30)~七面山(12:05)~インクラ跡(14:15)~八紘嶺(15:10)~梅ヶ島温泉(17:25)
- 地 図
- 山と高原地図「塩見・赤石・聖」
- 同行者
- ひめ
- 標 高
- 八紘嶺(1982.4m)、七面山(1917.9m)

梅ヶ島温泉
安倍川の上流・安倍奥にある温泉郷で、3~4世紀の応神天皇の時代から知られていたとされます。硫黄泉の温泉が湧出し、八紘嶺や山伏などの登山基地としても知られます。

八紘嶺
六郎木、七面山、くさぎ、十枚山と地名に数字が用いられるなか、八の字を持ちいる地名が無いことから、明治から大正時代にもてはやされた八紘一宇から名付けられました。

インクラ跡
八紘嶺と七面山の稜線上にあるインクラ跡には祠がありました。広い平地で幕営しようと思いましたが、水場は無く猛暑で水を消費していたため七面山山頂を踏破して下山を決意しました。

七面山
七面山の登詣は山梨県側を主とし、その途中にある展望所からの富士山は壮観です。静岡県側からはアップダウンが多く視界は遮られ、七面山の最高峰は森林に阻まれて展望はありません。
山伏
八紘嶺の西方にある山伏は、南アルプスの赤石山系に属する安倍川流域で最も高い山です。山伏と表記されるため修験道と関係があると思いましたが、そのような記録は見当たりませんでした。
- 山行日
- 2006/07/22
- 天 候
- 晴れ/曇り
- ルート
- 猪ノ段(10:00)~山伏(11:10)、山伏(11:40)~猪ノ段(12:25)
- 地 図
- 山と高原地図「塩見・赤石・聖岳」
- 同行者
- ひめ
- 標 高
- 山伏(2013.7m)

山伏登山道
ダケカンバの森を抜けると視界が開け、丈が低い笹が生い茂る登山道となります。ここまで来れば少しで山頂に到着します。山頂の下の方は遊歩道があり休憩に最適です。

山伏
山伏の山頂付近はヤナギランの群生地として知られ居心地がとても良いです。視界が開けているため、明るくて気持ち良い風が吹き抜けていきます。

山伏からの富士山
お椀のような形をした山伏は、山頂が緩やかな地形で視界が広がります。南アルプスの眺望はもとより、富士山の眺めが良いことで知られます。
