富士吉田市

富士吉田市は山梨県の南東部に位置する富士山麓の高原都市です。富士山を中心に道志・御坂両山地があり、その間を桂川が流れています。夏は冷涼で過ごしやすいですが、冬は寒冷な気候をしています。古くから富士山信仰の拠点であり、織物の名産地として知られおり、日本一硬いと言われる吉田うどんが人気です。
概要
- 面積
- 121.74km2
- 人口
- 45,942人(2022年2月1日)
- 市の木
- しらかば
- 市の花
- ふじざくら
- 市の鳥
- アカゲラ
- 市の愛唱歌
- ここにはいつも富士がある
- 地図
特集
歴史
平安時代の富士山の大噴火で地形が変化してから、人びとが移住してきました。江戸時代には旧鎌倉往還の宿場町、北口本宮冨士浅間神社の門前町、富士登山の吉田口として発展し、明治時代には国の殖産興業政策の一環として甲斐絹織物業の機械化が定着して活発に生産されました。
旧石器時代、縄文時代、弥生時代
富士山が噴火を繰り返し、縄文時代の上中丸遺跡や上暮地新屋敷遺跡では富士山の火山灰の層が確認されています。人びとは噴火災害から逃れたあと再びこの地に戻り、富士黒土層に古屋敷遺跡や池之元遺跡などで生活するようになりました。寒冷な気候に加え農耕に不向きな火山性土壌のため、弥生時代から古墳時代にかけての遺跡は少ないです。
古墳時代、飛鳥時代
古墳時代の遺跡は少ないですが、堰林遺跡から古墳時代前期と古墳時代後期から奈良時代の甕が出土しています。
奈良時代、平安時代
律令体制が成立して都留郡に属しました。火山活動が終息した平安時代末期には、富士山は修験道の道場として僧侶が修行を行いました。

山宮本宮冨士浅間神社
富士山本宮浅間大社の前身で、日本武尊が創建したと伝わります。本殿にあたる建物はなく富士山を望む遙拝所だけで、富士山を直接遙拝して祭儀が行われていたと推定されます。
鎌倉時代、南北朝時代
鎌倉時代後半に人びとが富士山に登拝するようになりました。
室町時代、安土桃山時代
14世紀頃から富士山を登拝する道者を世話する御師に加え、商人や職人が移住するようになりました。15世紀後半に富士山登拝は広く一般化していき、山麓や山中に信仰施設が整備されていきました。
江戸時代
元治2年(1865年)に溶岩台地で水利が乏しい地域に新倉掘抜が整備され、新田開発が行われました。農家では副業として郡内織をはじめ、農閑期の主要産業となりました。富士北麓は薬草の産地であり薬園が整備されました。農業生産力が低く織物産業に依存していたため飢饉がしばしば発生し、明治元年(1868年)には蒼龍隊を結成して倒幕運動に参加する者もありました。
明治時代、大正時代、昭和時代
明治時代に郡内織が発展し、洋傘地や服裏地を生産しました。戦時下には織物や観光業が統制され、武蔵航空株式会社が工場疎開したことで吉田空襲による被害を受けました。昭和26年(1951年)に富士吉田市が誕生すると、昭和39年(1964年)の富士スバルラインの開通、昭和42年(1967年)の新御坂トンネルや昭和33年(1969年)の中央自動車道吉田線の開通により観光都市化していきました。

