歴史、文化、グルメに触れる教養チャレンジ!【まいぷら】私のぷらぷら計画(まいぷら)

歴史、文化、グルメに触れる教養チャレンジ!

北杜市

山梨県北杜市の美し森

北杜市は山梨県の北西部に位置し、八ヶ岳や南アルプスなどの日本を代表する美しい山岳景観に囲まれています。八ヶ岳や茅ヶ岳南麓に広がる火山性台地と釜無川による沖積平野が釜無川の河岸段丘で隔てられています。清らかな水が豊富でミネラルウォーターやウイスキーの産地となり、冷涼な気候を活かして高原野菜が栽培されています。

概要

面積
602.48km2
人口
43,940人(2021年11月1日)
市の木
アカマツ
市の花
ヒマワリ
市の鳥
フクロウ
市の昆虫
オオムラサキ
市の小動物
ヤマネ
地図

特集

山梨県北杜市の赤岳から富士山

八ヶ岳連峰

夏沢峠を境に北八ヶ岳と南八ヶ岳に分かれます。北八ヶ岳は比較的なだらかな山容で美しい原生林と湖が特徴的で、南八ヶ岳は独立峰が連なる雄大な山塊を形成しています。

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歴史

北杜市は日本でも有数の縄文文化が栄えた地域で、古くから人の営みが残されています。平安時代に清和源氏の一族が移り住み、甲斐武田氏の祖となりました。大正時代に清里を訪れたポール・ラッシュ博士は清泉寮を設立して酪農と高原野菜栽培を広め、八ヶ岳南麓の高原リゾートを形成しました。

旧石器時代、縄文時代、弥生時代

北杜市を含む峡北地域は、旧石器時代以来の多くの遺跡が残されています。日本でも有数の縄文文化が栄えた地域で、縄文時代の遺跡はおよそ900カ所あります。高冷地が多い北杜市域では弥生時代前期の集落跡や水田跡は現在まで見つかりませんが、八ヶ岳南麓や茅ヶ岳山麓の高台に墓域が形成しています。

山梨県北杜市の梅之木遺跡

梅之木遺跡

八ヶ岳南麓に位置する湯沢川左岸の河岸段丘にある縄文時代中期の環状集落跡です。緩やかな斜面には150軒ほどの居住域があり、住居域から湯沢川へ通じる縄文の道が発見されました。

山梨県北杜市の金生遺跡

金生遺跡

八ヶ岳南麓に位置する縄文時代後期から晩期終末にかけての集落跡です。石棺墓を中心とした大規模な配石遺構から土偶や石剣が出土し、祭祀が行われていたと考えられています。

古墳時代、飛鳥時代

北杜市がある峡北地域では集落を形成した跡は残されていますが、大規模な古墳は見当たりません。

奈良時代、平安時代

律令体制が整備されて甲斐国の中の巨麻郡に属しました。7世紀から8世紀にかけて良質な草原地帯は牧馬となり、全国屈指の良馬の産地となりました。平安時代末期に清和源氏の一族である源義清が甲斐国に下向し、源義清の子・源清光が逸見氏を名乗り拠点としました。逸見清光の次男・信義は武田姓に戻して甲斐武田氏の初代となります。

山梨県北杜市の谷戸城跡

谷戸城跡

逸見黒源太清光が築城したとされる山梨県最古の山城で、清光の二男・武田信義が甲斐武田氏の祖となりました。武田氏滅亡後は北条氏が入城して改築したと言われます。

山梨県北杜市の深草館跡

深草館跡

八ヶ岳南麓の緩い斜面上に位置する館跡で、谷戸城の出城として築城されたと言われます。大八田荘を支配していた領主の館跡と推定されています。

鎌倉時代、南北朝時代

平家討伐で活躍した武田信義は鎌倉御家人となりますが、源頼朝から警戒される存在となりました。武田信義の子・一条忠順や弟・安田義定は暗殺され、武田一族で立場の弱い加賀美遠光が重用されました。加賀美遠光の次男・加賀美長清は山小笠原荘に拠点を置いて小笠原氏を称し、源頼朝の弓馬の師範を務めたことで、のちに小笠原流礼法と弓術を確立しました。

室町時代、安土桃山時代

信濃の諏訪氏や大井氏などの勢力と争う最前線であり、武田信玄は信濃侵攻のため棒道を整備しました。天正9年(1540年)には甲斐国に侵攻した村上義清と小荒間古戦場で戦いとなりました。武川町周辺には甲斐源氏の流れを汲む武川衆が勢力を持ち、武田氏滅亡まで武田氏に忠誠を尽くしました。天正10年(1582年)に武田氏が滅亡すると、本能寺の変ののちに徳川氏が支配下に置きました。徳川家康が関東に移封となると、羽柴秀勝、加藤光泰、浅野長政・幸長を経て、慶長5年(1600年)の関ケ原の戦いを経て徳川氏の再領となりました。

江戸時代

慶長8年(1603年)に江戸幕府が開かれて徳川義直が甲斐国に封ぜられますが、寛永9年(1632年)に徳川忠長が改易されて旗本領となりました。五街道のひとつ甲州街道が整備され、甲州街道の宿場町として台ヶ原宿が栄えました。

明治時代、大正時代、昭和時代

明治4年(1871年)の廃藩置県で山梨県に属しました。明治37年(1904年)に中央本線が開通し、台ヶ原や教来石などの宿場町はその役目が変化していきました。

高原の避暑地・清里

大正14年(1925年)に関東大震災の復興のため来日したアメリカ人宣教師・ポール・ラッシュ博士は、寒冷な清里高原を訪れて貧しい農村の現状を目にしました。ポール・ラッシュ博士はアジア太平洋戦争の勃発で帰国しますが、昭和20年(1945年)に再来日して清泉寮を設立して酪農と高原野菜栽培を広め、清里開拓の父と呼ばれました。清里は八ヶ岳南麓の高原リゾートを形成して高原の原宿と呼ばれるほどブームとなり、平成16年(2004年)に北杜市が誕生しました。

山梨県北杜市の清泉寮

清泉寮

昭和13年(1938年)に清里開拓の父・ポール・ラッシュ博士が建設した青少年訓練キャンプの拠点です。戦争で閉鎖されましたが、終戦に伴い再来日したポール・ラッシュが再建しました。

山梨県北杜市の萌木の村

萌木の村

昭和46年(1971年)に清里初の喫茶店として開業したROCKを始まりとする複合施設です。個性的なショップ・レストラン・オルゴール博物館などが点在しています。

山梨県北杜市のハイジの村

ハイジの村

平成18年(2006年)に開設したハイジの世界を忠実に再現したテーマパークです。約10ヘクタールある八ケ岳山麓の緩やかな斜面にヨーロッパの農村地帯を再現しています。