歴史、文化、グルメに触れる教養チャレンジ!【まいぷら】私のぷらぷら計画(まいぷら)

歴史、文化、グルメに触れる教養チャレンジ!

裾野市

静岡県裾野市の五竜の滝

裾野市は静岡県東部に位置し、富士山の南東麓にあります。富士山からの豊富な伏流水に恵まれ、交通の利便性と水資源を背景に先端技術を支える工業都市となりました。豊かな自然景観に恵まれ、富士サファリパークなどの観光地が形成しました。

概要

面積
138.12km2
人口
47,939人(2025年10月1日)
市の木
スギ
市の花
アシタカツツジ
市の鳥
ウグイス
地図

特集

静岡県富士宮市の田貫湖からの富士山

霊峰富士の信仰と芸術

日本を象徴とする富士山は、信仰の対象だけでなく芸術の根源となりました。万葉集や竹取物語などで取り上げられ、富士講が爆発的な人気となると、葛飾北斎や歌川広重が浮世絵に描きました。

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歴史

旧石器時代から人が生活するようになり、東海道の難所である箱根越えを避けるための脇街道が付けられ、交通の要衝ととして多くの人が往来しました。富士山の湧水や裾野の広大な土地を活かして農業が盛に行われましたが、戦後に豊富な水資源と利便性の高い立地により大規模な工業団地が形成しました。

旧石器時代、縄文時代、弥生時代

旧石器時代に愛鷹山麓や箱根山麓で人が生活するようになりました。縄文時代に富士山が何度も噴火を繰り返して現在の形となり、縄文時代前期の尾畑遺跡から顔面把手付土器と翡翠の大珠が出土しました。弥生時代の遺跡は極めて少なくなり、公文名丸山Ⅰ遺跡や富沢原遺跡など少数です。

古墳時代、飛鳥時代

古墳時代後期に富士山の溶岩流で形成した台地に茶畑中丸古墳群や上丹古墳などの小型の円墳が造営されました。柳畑遺跡や滝ノ沢遺跡からは、わらび手刀が出土しました。古墳とは別に土師器や須恵器が出土する遺跡がカラウト遺跡など16か所ほどで発見されています。

奈良時代、平安時代

藤原北家の流れを汲む藤原親康が鮎沢荘大森に住んで大森姓を名乗り、藤原惟兼が葛山に住んで葛山姓を名乗りました。大森氏と葛山氏は武士団を形成していきました。

静岡県裾野市の須山浅間神社

須山浅間神社

日本武尊が創建したとされる須山口登山道の起点となる神社で、須山口登山道を利用して山頂を目指した登拝者が、ここでみそぎを行い登山の安全などを祈願しました。

鎌倉時代、南北朝時代

建久4年(1193年)に源頼朝が富士山や愛鷹山の麓に広がる藍沢原で大規模な巻狩を行いました。承久3年(1221年)の承久の乱では、大森氏や葛山氏が鎌倉幕府に与しています。鎌倉幕府が滅亡して南朝方と北朝方が争うようになると、建武2年(1335年)に後醍醐天皇方の新田義貞と足利軍が竹之下で戦い、佐野原に退いたところで二条為冬卿が討死しました。

室町時代、安土桃山時代

最盛期の大森氏は本拠を小田原に移しましたが、明応4年(1495年)に北条早雲に小田原城が攻略されて大森氏は滅亡しました。永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いで今川義元が討たれると、永禄11年(1568年)に武田氏と徳川氏が今川氏を攻めました。葛山氏元は今川氏から武田信玄に内通しますが、北条氏政に攻められて葛山氏は領地を失いました。後北条氏が滅亡すると中村一氏が駿府城に入り支配しました。

江戸時代

大久保家、徳川家、稲葉家と領主を変えながら明治を迎えました。修験者の山岳修行が行われていた富士山は、富士講として一般庶民に広がり富士登山が盛んに行われるようになりました。宝永4年(1707年)の富士山噴火に始まり、天明4年(1784年)の天明の大飢饉、天保7年(1836年)の天保の大飢饉で大きな被害を受けました。

明治時代、大正時代、昭和時代

明治4年(1871年)の廃藩置県で静岡県が誕生しました。明治22年(1889年)に東京と神戸を結ぶ東海道線が開通し、裾野駅の前身となる佐野駅が設置され、明治23年(1890年)に湯山柳雄が五龍の滝の景観を生かした五龍館ホテルを開業しました。昭和46年(1971年)に裾野市が誕生しました。