大田市

大田市は島根県の東西の中央部で日本海に面しており、急峻な中国山地が海岸に迫るため市域の半分以上を山林原野が占めています。沿岸部を除くと平地が限られ、南東部の三瓶山や南西部の大江高山の山間傾斜地が複雑な地形を形成します。
概要
- 面積
- 435.71km2
- 人口
- 32,319人(2021年10月1日)
- 市の木
- うめ
- 市の花
- れんげつつじ
- 市の魚
- ひらめ
- 地図
特集
歴史
戦国時代に発見された日本最大の石見銀山は、大内氏や毛利氏、出雲の尼子氏により激しい争奪戦が繰り広げられました。江戸時代に幕府直轄の天領となり、銀山川沿いには武家屋敷や商家が立ち並び栄えました。銀の積出港である温泉津は、古い町並みが残る温泉地として知られます。
旧石器時代、縄文時代、弥生時代
三瓶火山と大江高山火山群の火山活動が影響し、旧石器時代の人の痕跡は残されていません。縄文時代から人の営みが残るようになり、旧波根湖縁辺部の波根川遺跡や中尾H遺跡、潮川流域の古屋敷遺跡が形成しました。弥生時代の稲作農耕に伴い、御堂谷遺跡や土江遺跡などに集落が形成しました。
日本神話
大田市は素戔嗚尊が五十猛命と大屋津姫命、抓津姫命を連れて新羅から上陸した地とされます。大国主命と少彦名命が静之窟を仮宮としたとされ、天平5年(733年)に編纂された出雲国風土記では、国引き神話で佐比売山(現三瓶山)を起点に新羅から土地を引っ張り込んで出雲地域の土地が拡張されたとあります。

三瓶小豆原埋没林公園
三瓶小豆原埋没林公園では、およそ4千年前の縄文時代に三瓶火山が噴火したことで埋もれた縄文杉の巨木群が、そのままの状態で保存展示されています。

静之窟
静間町魚津の海岸に存在する海食洞で、出雲神話において大国主命と少彦名命が国造りの際に石窟を仮住まいとしたという伝承が残されています。
古墳時代、飛鳥時代
古墳時代前期から中期の古墳は少ないですが、石見国最大級の規模の24基からなる庵寺古墳群が築造されています。古墳時代後期になると、横穴式石室をもつ明神古墳や行恒古墳などが築造されています。大田市域は石見地方でも有数の横穴墓の密集地帯で、大西大師山横穴墓群などが分布します。6世紀末頃に大和王権の命を受けた立花横穴墓の豪族が三瓶川の治水工事を行い、造営された台地上の広大な田んぼから大田の地名が生まれたとされます。

明神古墳
6世紀後半に仁万平野北東の砂山に築造された円墳で、石見地方最大の横穴式石室を持ちます。金銅装大刀や銅鋺などの副葬品が見つかりました。
奈良時代、平安時代
7世紀末に出雲国が成立して、この頃に石見国の領域も確定されたとされます。太田市域は安濃郡と邇摩郡にあたり、山口町は出雲国神門郡に含まれていました。出雲国から石見国府の伊甘駅まで、波禰・託濃・樟道・江東・江西の5駅が置かれ、天平平廃寺、官衙関連遺跡の白坏遺跡、28棟の建物跡が残る市井深田遺跡が見つかることから古くから開けていたことが知られています。
鎌倉時代、南北朝時代
近江源氏の佐々木氏が守護職となり、久利郷は久利氏が在地領主を務めていました。石見国最大の荘園である大家荘は九条家領であり、温泉津港から年貢が積み出されました。牧原Ⅱ遺跡は12~13世紀の製鉄関連遺跡で、大家氏が経営していたとされます。
室町時代、安土桃山時代
応永6年(1399年)に周防国守護の大内氏に石見国が与えられ、大内氏による政治的影響を受けるようになります。静間郷は上静間氏と吉川氏が領地を巡り争い、石見銀山が開発されるとその領有を巡り大内氏や毛利氏、尼子氏が激しく争いました。石見銀山は日本最大の銀山として世界の産金量の1割を占めました。

石見銀山遺跡
400年もの長い間に銀の採掘が行われた世界有数の鉱山で、灰吹法を取り入れて良質な銀を大量生産し、17世紀初めには世界の産銀量の1割を採掘しました。

梨ノ木坂遺跡
銀山街道温泉津沖泊道に接続する主要な街道で、石見銀山への往来に利用された石畳敷きが残されています。
江戸時代
幕府の直轄地となり石見銀山奉行所が設けられ代官所支配となりました。山陰道、雲州街道、備後街道の結束点の宿場町として発展し石見国の益田、浜田と共に石見三田と呼ばれ、多くの物資が集められ市場町としても発展しました。享保16年(1731年)に石見代官に就任した井戸平左衛門正明は、享保の大飢饉において領民救済のための官米放出や年貢減免を行い、薩摩国から救荒作物として甘藷を持ち帰り栽培を広めました。

福光石切り場
江戸時代初期から緑色凝灰岩である福光石の採石と加工が行われました。墓碑や建築用材など多種多様な製品を現在も産出しています。

温泉津温泉
温泉津は石見銀山で産出した銀の積出港で、山陰街道の宿場町ともなりました。自噴する温泉は平安時代に大狸が傷を癒していたことから発見されました。
明治時代、大正時代、昭和時代
明治3年(1871年)に大森県が浜田県に改称され、明治9年(1876年)に島根県に統合されました。明治時代に神職から民間の人びとに石見神楽が伝えられ、各地で盛んに舞われるようになりました。 昭和29年(1954年)に大田市が誕生してから合併を繰り返し、平成17年(2005年)に現在の市域となりました。