まいぷら

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竹林精舎

インド・ラージギルの旅行で訪れた観光名所、竹林精舎

ガンジス平原の岩山に囲まれたラージギルは、紀元前6世紀頃にマガタ国の最大の都として王舎城があったところと言われます。マガタ国を治めていたビンビサーラ王は、お釈迦様に帰依し竹林精舎を寄進しました。竹林精舎は仏教教団の最初の拠点となります。

お釈迦様とビンビサーラ王

マガダ国のビンビサーラ王は、悟りを開く前のお釈迦様を見かけると、ただならない雰囲気を感じて臣下に居所を確認させました。臣下からの報告を受けてビンビサーラ王はお釈迦様が修行していた岩窟に赴き「マガダ国の軍事指揮官として地位と財産を与えよう」と申し出ますが、お釈迦様はこれを固辞して修行の身として立ち去られました。

その際、ビンビサーラ王はお釈迦様に対して、悟りを開いた暁には再び王舎城を訪れるように頼み、お釈迦様に仕えること、お釈迦様の説法を授かること、説法の内容を理解することを希望されました。

カッサパ三兄弟の帰依と竹林精舎

マガダ国にはビンビサーラ王も帰依するカッサパ三兄弟と呼ばれる火を操るバラモンがいました。長男ウルベーラ、次男ナディ、三男ガヤは弟子を持ち総数千人を超えていました。お釈迦様は長男ウルベーラに聖火堂に泊めて欲しいと頼みます。その聖火堂には火を吐く猛毒の大蛇が棲むため辞めた方が良いと言われますが、お釈迦様は泊まります。

お釈迦様が聖火堂に一人宿泊すると夜に大蛇が現れます。お釈迦様は神通力により大蛇を小さな蛇に変えてしまいました。この奇跡でもお釈迦様の神通力を信じないウルベーラに対して、お釈迦様は川を徒歩で渡るなど350もの奇跡を見せることで、ついにウルベーラを弟子にしてナディ、ガヤなどの兄弟も弟子になります。

今までマガダ国で尊敬を集めていたカッサパ三兄弟がお釈迦様に帰依することになり、ビンビサーラ王は更にお釈迦様の偉大さを実感し、12万もの民と共に教えを乞うことになります。ビンビサーラ王は信者一同が過ごす場所として竹林園に精舎を築き、お釈迦様に寄進されました。

竹林精舎

ビンビサーラ王は仏教徒一同が過ごすことができる安住の地として竹林精舎を提供されました。町の喧騒が気にならず、托鉢に不便でないところとして霊鷹山の麓に整備されました。土地はカランダ長者が寄贈し、ビンビサーラ王が伽藍を建立しました。

この土地は竹林になっており、広い陰をつくる竹があたりに自生していたため竹林精舎と名付けられました。仏陀に寄贈した仏教最初の僧院であり、仏教教団の最初の布教拠点となりました。

竹林精舎入口

インド・ラージギルの旅行で訪れた観光名所、竹林精舎入口にある建物です

竹林精舎

インド・ラージギルの旅行で訪れた観光名所、竹林精舎竹林と言うより樹木が並びます

お釈迦様の時代は竹が自生していたため竹林精舎と呼ばれましたが、現在は樹木が並ぶ閑静な公園として整備されています。かつて竹林精舎には、雨期にあたる雨安居で45年のうち5回ほどお釈迦様は訪れているそうです。

コーサラ国のシュラバスティに住むスダッタという豪商はマガダ国に訪れたとき、お釈迦様の説法を聴く機会を得ました。お釈迦様の説法を聴いて感銘したスダッタは、精舎を建てるのでコーサラ国に来て説法して欲しいとお釈迦様にお願いしました。スダッタがシュラバスティに建てた寺院が祇園精舎になります。

竹林

インド・ラージギルの旅行で訪れた観光名所、竹林精舎竹が植樹されています

カランダ池

インド・ラージギルの旅行で訪れた観光名所、竹林精舎カランダ池僧侶が沐浴するために造られた池です

竹林精舎に残る遺構はカランダ池くらいしかありませんでした。カランダ池は当時の僧侶が沐浴するために造られたもので、当時のまま残されているそうです。発掘が進んでいないためなのか他に遺構は見受けられず、アショカ王の石柱も発見されていないそうです。

地図